ムラトカミイロ

好きな人、作品、イベント、忘備録兼感情をことばにする練習。

俳優‘神木隆之介’の話

はじめに

この話は私個人がめちゃくちゃ勝手に本当に勝手に考えている話です。

 

こちらは前の記事でこれを前提にしてます。

 

 

 

 

神木隆之介という俳優を知っている人は多くいるだろうと思う。

 

 

 

 

2歳から俳優業をはじめ毎回テレビ出演する際に「芸歴20年以上!」と紹介されるくらい凄い。しかも20年以上ほぼ定期的に芸能界にいるということは途方もなく凄い。

私は前の記事でも話した通りテレビっ子で小学生の頃からずっとドラマやバライティを見てきたけどその時も神木隆之介という人は認識していたし好きだった。

 

 

本格的にハマりだしたのはもう4年も前になるけど私は神木隆之介の事を何も知らない。というか分からない。でもこの事実が神木さんの事を好きだといえる大きな要因なのだと思う。

 

 

 

神木さんが23歳の時に発売された写真集

『Sincérité(サンセリテ)』

 

写真も素晴らしくDVDのなんかコメントの字体がジブリっぽいのも素晴らしくとにかく素晴らしい本です。是非宜しくお願い致します。そしてその中の1万字インタビューが俳優神木隆之介の事を考え続けるきっかけになった。

 

 

私の考えの話をする前にほぼ私の考えてることを素晴らしい表現にしてくださったブログがあるので多分こちらを読んだ方が良いと思っているので是非読んでみて下さい。

 

 

 

 

この間映画フォルトゥナの瞳の大ヒット舞台挨拶がありご縁があって行ってきました。

登壇者は神木さんと三木監督。

その様子も素晴らしい方がブログにして下さってるので見てください。

 

その舞台挨拶の中で神木さんが俳優業の定年の話をしてくれました。

 

「僕の場合、42歳くらいで(一般の)定年なんですよ。大学生でストレートで会社に行っていると、40年くらい働くとして、そのくらいで到達するんですよ」

神木隆之介:将来は「芝居のレッスンの先生」に興味 俳優業は42歳で“定年”? - MANTANWEB(まんたんウェブ)

私生活でバタバタしていて前に記事*1でも話をされていたそうですがその時私は見ておらずその時初めて聞きました。

その時思ったことはあぁそうなんだと。すっと腑に落ちたことを覚えています。でもやっぱりずっと神木さんの演技が見たいなぁとと思ってしまいました。

 

先程のサンセリテの中で神木さんはこう言っています。

演じることは楽しいです。もちろん仕事として大変なところはあるけど、自分が楽しいと思える職業に最初から当たれたことはよかったなと思います。
でも、生涯この仕事をしているかはわからないです。なにがなんでも、しがみついてでも役者をやり続けたい、というような思いはないんです。

 

これを読んだ時からその覚悟は出来ていたつもりでした。

でも正直驚きもしました。ここ最近というかずっと読んできた記事やインタビュー、宣伝媒体で見てきた神木さんは仕事を迷わず楽しい!と断言しずっと言い続けてきたから。そこにいやまさかっていう認識を私が勝手に思ってしまっていただけなのだれけど。仕事は楽しいけど生涯ずっと続けていたい訳では無いんだというのも理解は出来ます。そことそこの思考は決してイコールではないという事も。

 

 

でも好きだから俳優業を辞めたとしてもその関係の仕事、指導する側に回りたいという答えはなるほど!とも思いました。しそれが実現したら素敵だなと。

その話の最後に監督に「求められたら出てくれそうな気もするけど」と言われて「呼ばれたら行きまーす!」と元気にお答えはされていました。

 

 

 

最初に引用したブログの中で筆者の方が

「神木さんは良くも悪くも博愛主義だと感じる」と書いてるのに首がもげそうなくらい頷きました。

 

人当たりが良くて色んな人から好かれてそれはもう他の職業の人、監督、本当に様々な人から好意を持っている話を幾度も聞きましたしいつの間にか交流を増やしてるしその交流を深めるのも早いし何より世間一般というか神木隆之介嫌いなんだよねという声も1度も少なくとも私は聞いたことがありません。宣伝媒体の話をしましたがいつも明るく笑顔で動作が大きくて楽しそうに話している彼を見続けてきました。

 

でもだからこそ一線を感じるというかそこが完璧だからこそそれ以上の事は全く分からない。ということを感じました。それ以上の発展が無いといえば無い事に気づいたんです。

 

また引用になってしまうのですが

だが一方で「自分は長生きしない」 と話す神木くんは、確固たる境界線を設けてそれ以上の領域に踏み込ませてくれない。愛することで線を引く、博愛主義者だ

神木隆之介という氷の像のお話 - 発露

まさにこの通りだと思いました。

 

好きな俳優さんを知っていく中で印象というのは目まぐるしく変わっていくものだと私は思っていました。最初はこう思っていたけど知っていく中で全然違ったものになるし多少はその俳優さん自身の性質であったりこういったタイプなんだなと‘知る’事が出来ました。

 

でも神木さんは一切変わらない。確かに小さい情報だったり好きな食べ物とか好きなものとかは確実に‘知る’事は出来ていても本質的な人間的な印象は全く分からず自分で解釈していくのがむしろ年々迷走していきました。

 

私がこういっているからきっとこうなんだろうなと感じる事を綺麗に裏切ってくれる。そんな感じです。それが1番明確に思ったのがこの記事ですかね…

神木隆之介「衣装を着ることで、初めて自分の居場所がある」――笑顔のウラにある孤独と恐怖。 - ライブドアニュース

 

役の衣装を着て、初めて自分の居場所があると思うと少し怖いんです。私服のときは自分の居場所がないような気がして…。

――“役割”がなくなって素の自分に戻るのが?

そうなんです。なので、打ち上げが少し苦手なんです。そこにいるときは“役”ではないので。役を演じていないなら、自分がそこにいてもいなくてもいいような気がして。

 

――映画の中で零は、川本家や学校で、“期待の天才高校生棋士”という以外の桐山 零としての居場所を見つけていきますが、神木さんは…(苦笑)。

現場のシチュエーションと衣装があって、初めて自分の居場所を見いだしたのかと思うと怖いです(苦笑)。打ち上げの話に戻ると、衣装のまま打ち上げをしたいくらいです(笑)。私服で打ち上げに行くと、本当に仲の良い共演者やスタッフさんともどう接していたか一瞬、わからなくなるときがあります。

 

これを読んだ時本当に驚きました。いやいやまさかと。こういう事をさらっと言うものですからそういう考えに至ってしまうんですけどあの神木さんが役を演じていなければ自分の居場所を見いだせなくなってしまうの?と。常に周りに人がいるイメージだったのにそこは苦手なの?と。逆に言ってしまえば現場のシチュエーションと衣装というものが無ければ俳優神木隆之介という認識が無くなるというのは納得かもしれません。プライベート時あまり自分が芸歴20年以上の芸能人だということを思っていない事に繋がるかなーと。

 

 

やはり俳優神木隆之介を神木さんは演じている部分が少なからずともあるんだろうと私は勝手に至極勝手に思います。そして本質的な神木隆之介を知っている人はどれだけいるのか、家族だけなのかそれとも友達にも知っている人はいるのだろうか、でも私が今後出会っていく神木隆之介はずっと俳優神木隆之介なのだと思います。

 

 

普通に生活している人達だって自分を偽ってと言うまでは少し異なりますがこの人にはこう接する。とかこういう風なスタンスで。というのがあると思っているのでそれは真っ当なことだと思います。決して変わったことではないと思います。

本質的な神木隆之介を知りたいと言う気持ちはありません。いやちょっとはあります←

でもそれは今後神木さんが好きだと言っていく中で必要なことでは無いと思っているからです。

 

けと私は好きな人の事は知りたくなってしまうのがどうももどかしくそして夜中に神木さんについて思いを馳せてしまうそんな事が多々起きてしまう現状です。

知らないという「未知」という部分に惹かれていしまっているのもまた事実なんです。矛盾ですよね〜〜〜〜〜〜

 

 

 

神木さんの一番好きな所はもちろんお芝居です。得に目のお芝居。目だけでその役が今までどういう人生を歩んできたか分かるようなそんな目の芝居が好きです。

人柄、生き方、もですが上で考えてきたように神木さんの言葉から学ぶ事もあれば悩んでいる時にすっと前を向けれるようなハッとするような言葉を残してくれている時もあります。

 

 

 

俳優神木隆之介そこから全てを接種、消費してして好きだと言えることが幸せだと思うのです。でもその消費することが最近少し怖くもあります。

 

 

私は今までドラマや映画を見ていくに当たって自分が「消費者」だという感覚が全くありませんでした。

2個目のブログを紹介した方のおかげで気づけたことです。すーさん本当に大好きです(ここでも言う)

2016/12/29 HANDSOME FESTIVAL 2016 追加公演 - 愛を吐くよ

私がこの記事を読んで気づけた事であり。そし最後に

『今の神木隆之介』そのものだったような気がする。

と仰っていた意味が分かる気がします。俳優神木隆之介以外の神木隆之介が見れる場所なんだなと…いやなんというか俳優神木隆之介の上での神木隆之介なんですけど(ちょっとよく分からなくなってきた)

ハンサムの事はまじで別記事に書くつもりなのでまたその時にでも…

 

 

 

 

いやいやそこまで考えなくてただ好きってだけでいいじゃん!!!!!!って私も私の中にあます。

というか大多数はそんな感じです。でも自分が1消費者だということを忘れては行けないんだなとも思います。

作り手がいて私たち消費者がいる。エンタメを接種していく上でここの関係は切っても切れないな〜とも。何も無いところから何かを作るって事ってとてつもなく大変じゃないですか、一つの作品をこれだけの人と力で成り立っているという事を思っておきたいんです。それを忘れて消費者は楽しむ事も重要だと思うしそれを作り手がめっちゃアピールしてはダメかなとも思うんですが…バランスが難しいですよね。

 

 

神木さんは挫折したことがない。仕事で辛いと思った事は無いと仰ってて俳優という職業の中で絶対そう思えることや大変なこと、2歳から活動していて私が想像も出来ないことがきっと沢山あっただろうと思う。でもそう思わないのは神木さんの本質的な部分がそう思っていない事だから言えるのだと思うのと凄すぎて泣けてくる。

神木さんは本当に凄い。本当に人がよく出来ていると思うのだけれど決して手の届かない人のような素振りを見せず沢山の人から愛されいる。本当に凄い。って言葉しか出てこなくなる時があります。そしてその努力をあまり見せないのも凄いなと思います。

 

 

俳優人生を40年で一区切りすると神木さんが言っているのなら残り15年くらいしかないんですよね…でもそれも神木さんが決めたことであって私はやめて!とかもっと見たい!と思ってはいいと思うけど大々的に言うことではないかな〜と個人では思いましたし(その年齢付近になってみないと分からないですよね…今の所です。)何より今までの20年弱で出会えた作品は紛いもなく素晴らしいものばかりなので出会わせてくれた神木さん作り出してくれた神木さんに感謝しかないんです。

 

 

1個人の俳優さんの事をここまで考えたのは初めてで考えれば考えるのほど深みにハマっていくしのが一時期しんどい時もあったけど(凄い勝手になんですけどね)それでもやっぱり俳優神木隆之介が心の底から大好きなんだと思います。

 

全くもってまとめれていない状況が今なんですけどでも多分今後神木さんに対しての感情がまとまる日なんてこないなーと思っているのでまた変わってきたら書こうかなと思います。そしてこんな色々勝手に考えてしまって本当にすみません。激重すぎる。

そんな今日は集団左遷第2話の放送日です!

楽しみです☺️

 

 

 

あなたがいつも笑えていますように 心から幸せでありますように

 

そればかり願う日々です。好きな人が幸せであって欲しいです。神木さんに幸あれ。

 

 

 

追記

思ったままに書いたので色々?な部分あるかと思いますが今私が出せる全力な言葉です。

色々ご了承下さい。